moi moi moi !!

愛猫モイ(mix 2015.4.8~ ♂去勢済)が消化器型リンパ腫と診断されたのは2017年が始まったばかりの冬、1歳9ヶ月の時でした。その日から一変したモイとの生活、闘病と友情の日々。

カテゴリ:モイ > 祈り、応援、いただきもの等

先日11月26日のお昼、モイが約1年ぶりにトイレでウンチをした。この1年間、ほぼ毎日、ず〜っと3つある猫用トイレのすぐ手前のフローリングで用を足していた。そのほとんどを妻が直前に察知して素早く尻の下にペットシーツを差し込んで受け止めていた。そのキャッチ率、9割とんで9厘はあるだろう(毎回健康チェックも兼ねてウンチ写真を撮っているので正確な打率は今度暇があったら調べよう)。多分自分だけだったら1割も受け止められていないと思う。それほど妻はモイやウニに向き合ってくれている。
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フローリングと見た目はそっくりの木目調塩ビカーペットを敷いたのは7月末。これを敷いてからはもし受け止められなくても直接フローリングの床を汚すことがなくなったので少し気が楽になった。昨年あれだけいろいろなトイレを試しても好んでくれなかったモイがこの塩ビのカーペットには床と変わらずホジホジしてからやってくれる。よかった。

モイのトイレ事情は昨年よくここで書いていて、最後にしっかり書いたのはこの2018年10月の記事だと思われる。 この後、12月1日にこの奥の大きいトイレ(おからサンド)で一度してくれたのが最後だったので、ほぼほぼ1年ぶりに砂の上で踏ん張ったことになる。ちなみにオシッコだけは手前にあるシステムトイレで毎回してくれる。システムトイレの砂は少し粒が大きいやつだ。

モイがウンチをトイレでしない理由は1年経った今でもはっきりはしていないけれど、 観察していると用を足す前にしばらく砂トイレをじーっと眺めて、しばし考え込んで、でもやっぱり出来ない、とばかりにその手前の床をホジホジ掻く仕草だけし、構えに入るので、本当はトイレでしたいんだろうなという気はする。ウニのにおいが気になっているのかもしれないので、月イチで砂を全取替してトイレも綺麗に洗ってはいるけれど、その直後でも結局は変わらない。

ウンチの状態は消化器サポートのおかげもあってこの一年ずっと安定している。先日、写真のウンチフォルダーで闘病後のウンチを順番に振り返ったが、やっぱり病気の頃は色や硬さも様々だった。その状態を見ただけで「ああ、この黒いのはいついつの〜、あの頃は〜」と分かってしまう自分らがおかしかった。

今回1年ぶりとなった26日はたまたま自分が目の前で様子を見ていた。同じように砂トイレをしばらく眺めた後、床をホジホジし始めたのでペットシーツを手に取りモイが足をガニっと開き踏ん張る体制に入ったら差し込もうと、少し手前でシーツを広げて待っていた。そしたら一瞬こちらを振り返って何か言いたそうな顔をしたかと思ったら、また砂の中を見に行き、そして前足をトイレの中に入れた。「あっ」と思い、心の中で「行けー、モイ、後ろ足もトイレへGO!」と叫んだら、本当にそうなって4本の足すべてがトイレの砂の上に。「やったー」、すぐに構えて踏ん張りだした。そしてすぐに出た。ただあまりにトイレの端っこで構えていたので最初の一粒のみが砂にインして、残りの長いのはトイレの外に落ちた。それでもとても嬉しくて「モイ、やったねー」とまた心の中で叫んだ。モイはその後すぐにトイレを飛び出し走り去った。昨年、動画で紹介した異常なまでのダッシュほどではなかったけれど、まだ何かの違和感を感じているのだろう。
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久しぶりにトイレで用を足した直後のモイ

その日の夜にもう一回と昨日27日にもう一回ウンチをしたが、それはいつもの床の上だった。それでも全然いい。モイが好きなようにすればいい。いつかなんの迷いもなくトレイでしてくれる日が来てくれたらうれしいけれど、モイが日々をノーストレスで過ごせればそれが一番。
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ここ数日寒くなってきたのでまたモイが布団に乗っかるようになった。昨年までは足元だったが、今年はたまに腰のあたりまで来てくれる。今になってもちょっとずつ近づく距離があってうれしい。

昨日、4月8日で4歳になったモイ。
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モイのリンパ腫が発覚したのは2017年の1月、1歳9ヶ月の時で当時は2歳を迎えることもひょっとしたらできないかもと覚悟をした時期もあった。「化学療法が効かなければ数週間から1〜2ヶ月、奏功したとしても半年から1年がんばれるかどうか」という先生の見解、ネットで調べても厳しい情報しか目につかなかった。

それでも情報を発信したインスタグラムを通じて同じリンパ腫と闘っているたくさんの方からコメントをいただき、中には長期寛解に至っている方もいて、免疫療法の情報も得て、家族でがむしゃらに調べ、そのうち光が差してきて、2歳、3歳、4歳と月日を重ねることができた。SNS療法と言っても過言ではないくらい、今のモイがあるのは本当に皆さんの応援のおかげです。ありがとうございます。

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誕生日祝いにいただいたモイの似顔絵

前回、モイが2年間毎日飲んできたサプリAHCCが販売終了するかもという記事を書いたら、DMやライブ会場で「どこどこにはまだ在庫があるようです」と情報をいただいた。そういう心遣いも本当にうれしい。昨日、誕生日の夜、いつも購入していた通販サイトでAHCCが「在庫あり」に復活した。これもモイへの誕プレかもと思い早速注文。
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写真はAHCCがなくなった時のためにと買ったβグルカンのサプリDフラクション。アゾディルやジルケーンなどモイにとても有効なサプリと同じ販売元なので、この機会にDフラクションに切り替えようとしていたが、AHCCがまだ買えるとなると今後どうしようかな。飲ませた時のモイの顔色からするとどちらも「良薬口に苦し」といった感じなんだけれど。
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モイと同じ誕生日の先代マルオは生きていたら昨日で20歳。成猫式。写真は2003年、16年前の4月8日、今のモイと同じ4歳になった日のマルチンの表情。マルチンにはあまり誕生会をしてあげてなかったなあ。
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4月8日はブッダの誕生日でもあるので昨日はマルチンのお墓参りをし、花まつりで甘茶をいただき、お釈迦様にも甘茶をかけお祈りしてきた。

マルチンもモイチンもいい日に生まれたね。これからも何回もお祝いさせておくれ。誕生日おめでとう。

今日は父のPET検査。

6回の抗がん剤治療を終え、その成果を確認するための検査。結果は寛解。入院前に調べた時はたくさん映っていた赤い点は綺麗になくなっていたそうだ。

念のため3月1日に放射線科で最終確認をし、もし少しでもがんが残っていれば放射線で焼ききるらしい。「5分くらいで終わります」とのことなので、かなりいい状態なのだろう。

これで父もモイと同じステージに。ひとまず安心だけれど、今後は再燃しないように注意して、不摂生せずに健やかに過ごしてほしい。糖尿と高血圧は相変わらずのようなので、とにかく炭水化物は控えめにして免疫のために腸活でもしてほしい。

82歳と高齢でR-CHOP療法の投薬量も減量しての治療だったが、便秘以外に極端な副作用もなく、ここまではとても順調に来たようだ。

血液のがん、リンパ腫は抗がん剤が身体に合えば決して治らない病気ではない。そんな時代なのかもしれない。
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昨秋、入院翌日に行った最初の抗がん剤投与。お守りに貼ったモイの写真もひと役買ったかな。
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2月3日、父とウニ
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小町とオレ

リンパ腫でモイの後輩になった父の抗がん剤治療、R-CHOP療法は12月7日に4クール目を終え、順調な様子。治療開始前は歩くのもままならなかったので車椅子で送迎していたけれど、最近では自分ひとりで通院しているらしい。

たまに様子伺いの電話をして治療経過などを聞こうとしても、買ってあげたiPadの操作の仕方を俺に聞きたくてしょうがないみたいで、すぐに話が「ダブレットがっさい、いっちょん分からんもん〜」となる。

本当かどうかは知らないけれど父は若い頃は小説家を目指したこともあるとかで、純文学が好きなので、iPadを渡す前にiBooksに入れておいた夏目漱石の「吾輩は猫である」を読んでいるらしい。おまけに自分で樋口一葉の「たけくらべ」をダウンロードしたんだとか。

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11月10日FaceTime中のスクショ。
髪は抜ける前に床屋で丸刈りにしたそうだ。数本だけ根っこが残っていた自分の歯は抗がん剤治療を始める前に感染症のリスクを避けるために全部抜いたそうで、ご覧のような見た目に。思わず笑ってしまっている俺だけれど、自分も親父そっくりなので、30年後の自分を見ているかと思うと油断できないのである。
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実家では最近新しい猫を飼い始めたらしい。嵐丸(らんまる)の妹分ということになる。名前はまだない。後ろ足の骨が折れているようで裏庭に40日くらい居座っていたので、本格的な冬を迎える前に家族に迎えたそうだ。
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親父と猫の近影。てかソファ!俺が中学の時くらいからあるやつ。

父は仕事をせず(ついこの前まで店の帳簿をつけていたが)暇なので、この猫の日記を病院でもらってきた血液検査結果の紙の裏に書き留めているらしい。そこでiPadやろもん。

次回5クール目は年末28日の予定だったが、実家の鉢盛(おせち)作りが忙しいので年明け4日に行う予定だそうだ。このまま順調に春を迎えてほしい。

ミグノン写真展でのチャリティライブ。一昨年に続きミグノン代表の友森玲子さんにお声がけいただき1時間のステージ。今回はその半分を友森さんとのトークコーナーにした。テーマは「猫が病気になった時」。実は抗がん剤が効かずモイが最もピンチに陥った昨年2月、友森さんのところを訪ね相談した経緯がある。モイの闘病を振り返る中で当然その時の話も出たが、「あの時、店に入ってきた近藤さんは本当に暗かったw」と友森さん。日々、保護活動を通じてたくさんの動物の命と向き合っている彼女曰く、動物が死に面した時は当然とてつもなく悲しいのだけど、悲しいオーラは本人の悪循環を招くし他の動物にも伝染するので、演技をしてでも明るく対応する、とのこと。
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そんなトーク後の演奏だったので、いつも暗いと自分でも思っている自分の曲がより暗く思えてしまって、こんな演奏でいいんだろうかとやや躊躇しながらのパフォーマンスになってしまった。それも含めて自分らしいといえばそうなのだろう。
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トークの中で「モイちゃんはすぐに診断がつき治療に入れたから本当にラッキー。よく最初の検査では見過ごされたり、“様子をみましょう”となることがあって、この“様子をみましょう”が命とりになるから」と友森さんが言った時、モイが今元気に生きていることを思い胸が熱くなった。

実は血便に気づき最初に近医を訪れた昨年1月12日は病院が混んでいてエコーなどのしっかりした検査はせず「大腸炎だろう」と止血剤と整腸剤が処方されただけだった。まさにしばらく様子をみましょうという状況。

ただ翌日1月13日の昼に医師から「モイちゃんどうですか?」と様子伺いの電話があった。「今日一日様子を見て血便が治まらないようなら明日お伺いします」と応え電話を切ったが、その後ざわざわと胸騒ぎがした妻がやっぱり今日行こうと言い出し夕方病院へかけこんだ。そしてエコーで黒い影を発見。すぐに高度医療センターに紹介され、入院と続く。

暗い性格、心配性なところが、この場合は早期発見(早期でもなかったけれど)につながったわけで、明るく闘病するというのは決して楽観視するということではない。

今さらながら、あの時電話をかけてきてくれた近医の先生にも深く深く感謝したい。

今朝、久しぶりにモイがトイレ(おからの砂を入れた大きい方のトイレ)でウンチをしてくれた。排泄後トイレから逃げるように飛び出すようになったことは6月7日のブログで映像付きでお伝えしたが、その後7月18日にトイレでしたのを最後にトイレ以外の場所でするようになっていた。

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7月18日
8月28日
9月8日
10月13日
10月22日

その後トイレでしてくれたのはこの4日のみ。最近は2日に1回ペースで出ているのでかなりな回数トイレ外でしてくれちゃってる。
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トレイ以外でする確率が一番高いのは爪研ぎ用の段ボールなので最近はこんな感じでますます数が増えている。2016年末に小林賢太郎さんが打ち合わせに来た時、我が家のリビングを見て開口一番「完全に猫仕様ですねえ」と言ったけれど、今は間違いなくそれ以上だ。

長いこと観察してきてモイのトイレ事情はやはり精神的なことが一番の原因になっていると思うのだけれど、このまま少しずつでもいいのでトイレでする回数が増えていってくれたらいいなあ。

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入院していた父にiPad(セルラーモデル)を買ってあげていたのだけど、結局入院中は使わなかったようで、昨日退院して今日初めて家で触ったみたい。姪っ子が側でアドバイスしてくれたおかげでFaceTimeすることができた。
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画面に映る父はやっぱり痩せていた。退院時の体重は66.3kgだったそうだ。入院時から6.6kgも痩せている。

それでも髪の毛はまだ少しも抜けていなかったし、なによりテレビ電話が楽しそう。「父にiPad」と書いて「猫に小判」「豚に真珠」と読む、とならないように楽しんでもらえたらいいな。そのうちSNSデビューするんだろうか?

今日はモイの話ではなく親父の話です。不定期に発行しているメルマガから9月1日号に書いた文章を転載します。後半にこの闘病ブログ用に追記しました。

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『1001枚目のハガキ』

大学進学もせず「ミュージシャンになる」と
九州を飛び出すバカ息子を、
父は「なら仕送りしちゃるけん、
毎日ハガキば書け」と見送ってくれた。
33年前の春。

上京した日から毎日1枚、
日記代わりのハガキを書いてポストへ投函した。
内容は簡単なものだったので
とくにストレスにはならなかったけれど、
早く自立して親にハガキなんか
書かなくてもいい生活がしたい、と、
結果としてこのことが、
芸を磨きそれを職にするための
強い後押しをしてくれたのかもしれない。

結局まったく仕送りがいらなくなるのに
2年半かかった。
ざっと1000枚、書いただろうか。

あれから30年、
幸い音楽と共に暮らすことができている。
家族にも恵まれた。猫もいる。
もはや東京暮らしの方が長い。

母は16年前の今日、自らの誕生日に儚く散った。
生きていたら今日が80歳の誕生日。
少しの親孝行もできなかったな。
父の誕生日はちゃんと覚えていない。
30の時の子が俺なので、
もう82歳のはず。

今度1001枚目のハガキを書こうと思っている。
30年ぶりに書くそのハガキには、
愛猫モイとウニの消印を押してもらおう。
今のところ決めているのはそれだけ。
来週9月8日と9日は東京都郵政博物館で
モイウニ押印が発行される特別な日。

父もちょうどその頃、
入院することになるだろう。
モイと同じ、悪性リンパ腫と
先日診断されたからだ。
また家族の特別な日々がはじまろうとしている。
治療方針は精密検査の結果次第だが、
R-CHOP療法を実施することになりそうだ。
R(分子標的薬リツキシマブ)以外は
全てモイも投薬したことがある
抗がん剤やステロイド。
あの小さなモイが治療に耐え奇跡的に今
こんなに元気になっているんだから、
親父にもきっとできるはず。
高齢だけどがんばってほしい。
入院してボケないようにね。
環境の変化で認知症になる人も少なくないとか。

これから考えるハガキの文面は
あの頃と同じように稚拙かもしれないけれど、
モイの消印が押されたそのハガキを
枕元に置いてみて。
きっと、おまじないになるよ。

2018年9月1日 近藤研二

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追記:

Twitterでもつぶやけるほどの少ない文字数の葉書に9月9日の消印を押してもらい投函した。

今日9月26日現在、父はまだ入院していない。これまでの経緯を簡単に。5月に喉に違和感を覚え、食欲がなくなり激ヤセしたことで、近医から大学病院を紹介された。血液検査や喉のシコリの状態からすぐにリンパ腫が疑われたようだが、大きい病院ゆえか、なかなか診察が進まず、何回も通い、喉元から取ったリンパ節では白黒つかず、乳腺のリンパ節を取り2回目の遺伝子検査をした(モイも2回したなあ)。それで、ようやく「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」と確定診断が出たのが8月末。その後も、骨髄検査、PET検査、心臓検査、歯の検査、抜歯と続き、抗がん剤治療をする方針になったが、現在ベッドの空き待ちで未だに入院できず、治療が始まっていない。

週単位で進行する高悪性度のがんではなく、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫は中悪性度とされ、それでも月単位で進行すると言われている。既に4ヶ月、大丈夫なのだろうか?
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7月に帰郷し通院に付き添った際の写真。後ろ姿が俺に似てるかも。いや、俺が似たんだろうけど。
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ちょうどこの日、耳鼻咽喉科から乳腺外科に回され脇の下からリンパ節をとり検査することになった。

6月に兄から「親父がリンパ腫からもしれない」と聞いた時、真っ先に送ったのが「純パプラール水」と「AHCC」「D-12」。「純パプラール水」はモイがリンパ腫になってすぐ、インスタのフォロワーの方がDMで教えてくれたもの。結局モイは一度も試していないけれど、自分が口内炎が出来た時にこの小さなバイアル状の小瓶に入った6mlの液体を飲んだら翌日には痛みがひいた。
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親父には6月中に5瓶入った箱を3箱送り飲んでもらった。そしたら喉にできていたシコリがなくなったそうで、がんかどうかもまだはっきり診断されていない段階だったが先生が不思議がったそうだ。その後もなかなか診察が進まないのでもう3箱送った。AHCCは90粒入ったソフトカプセルの瓶を2瓶これまでに飲んだようだ。
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(通販サイトのスクショで失礼します)

詳しいことは聞いてないけれど、直近の血液検査の結果がかなり良かったらしく「最初の結果はなんだったんだろう」と先生がまた首を傾げているそうだ。最近送ってきた親父の写真は7月にこの目で見た時よりも太っていた。何が功を奏しているのかは分からないけれど、「純パプラール水」「AHCC」、どちらも元はと言えばモイの病気があって知ったサプリメント。こうやってモイの病気で得た知恵が少しでも役立つ日が来てよかった。
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82歳の父には抗がん剤治療はかなり大変だと思う。病院側で減量投与などの策も考えられるとは思うけれど、今後もサプリが治療の後押しをしてくれることを期待したい。

などと書いていたら、ちょうど実家から連絡があり、10月2日に入院が決まったそうだ。その頃また帰ろう。
 

5月22日で腎臓の部分寛解から1年になる。腎臓がエコー上で綺麗な状態になってから1年間、これを維持しているモイ。

【部分寛解までの経緯】
昨年の1月、モイのリンパ腫に最初に気づいた時、腸と腎臓に大きな黒い影があった。腸か腎臓、どちらかに原発巣があって転移したと考えられたので、がんの進行状況としてはステージ2だったことになる。「腸から腎臓に転移したものだと思いますが、もし腎臓型のリンパ腫だとしたら、この先、脳に転移する恐れもある」と近医の先生に言われ、とても不安になったのを覚えている。

その後、抗がん剤が効かず、がんが一番大きくなった3月上旬、腎臓の黒い影は一辺2cm~3cm、厚さも1.5cmほどになって、片方の腎臓に2,3個でき、それがつながって大きな塊になり腎臓をほぼ覆うほどだった。腸の黒い影はもっと大きくエコー上の定規が5cmを越えたこともある。

それが3月中旬から復調しだし、約2ヶ月後の5月22日のエコーで腎臓の影は左右とも全く確認できなくなった。これがいわゆる部分寛解。腸の方は、7月末に一旦なくなり、その後すぐ再確認され、つい最近までずっと小さな影が残っていた。

インスタで腎臓の部分寛解を速報した記事(すごくたくさんコメントをいただきました)と、
ちょうど1年前のブログ

【漫画化の続編】
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コンビニコミックス『ねこぱんち』No.141春巻猫号に掲載の「木彫り猫の息吹~はしもとみお彫刻日誌~」で先月号に続き我が家の猫との暮らしを漫画化してもらいました。ウニが我が家に来て、モイがリンパ腫になるまでの激動の1年間が描かれています。もちろん今回も赤裸々な実話。
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「治療しなければ半年…持ってくれるかどうか」
ただこの先生のセリフだけは事実とは少し違います。

ネーム(漫画の下書き状態)の段階では、このコマのセリフは「治療すればよくなります。がんばりましょう。」となっていて、そこには、同じように闘病している猫と飼い主の方にも諦めないでほしいという編集の方の思いもあったようです。

ただ、実際には先生は決して希望的なことは言わず、リンパ腫の種類や予後が書かれた紙資料を僕らに渡し「半年を目標に治療して行きましょう」と言った。最初その意味がよく分からず「半年を目標に治療とは?」と聞き返した。「抗がん剤のプロトコールが半年でワンサイクルなので、先ずはそれをやりきるところまで…」というような説明だったと思うけれど、帰宅して紙資料を読んだりネットで調べると、低分化型のリンパ腫の予後はおおよそ「無治療で2週間から10週間、治療が奏効しても半年から1年」と決して明るくないということが判り、そうか、だから先生も歯切れが悪かったんだなあと思った。悲観も楽観もせずただ現実と向き合う、それが医者だし、がんの闘病とはそういうものなんだなあと覚悟をした。

この漫画上では1コマで簡潔に表現しなくてはいけないので、「一緒にいられる時間が限られるかもしれない」と思ったことだけは折り込んでもらおうと、いろいろ相談した結果、このようなセリフになった。

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元になった妻のインスタ動画はこちら
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この我が家の物語、ありがたいことに来月号にも続き、三部作になっています。我が家の猫との暮らしが漫画で超大作になって、今まで俯瞰してみる余裕のなかった闘病生活にもなんだか一区切りがついたような気分です。是非、コンビニで「ねこぱんち」見つけてみて下さい。Amazonでも扱っているようです。そしていつかコミック本化されるとさらにうれしいなあ。
 

モイとの出会いを回想する季節がやってきた。昨年は闘病でそれどころではなかったけれど、折りに触れモイが保護猫出身であることは触れてきたので、その経緯をご存知の方も多いだろう。

3年前、2015年4月15日に山梨県山梨市の万力公園で課外活動中の中学生が段ボールに入れられ放置されていた3匹の子猫を発見した。生後間もなかったので長時間そこに居たとは考えづらく、その日の早朝か未明に誰かが置き去りにしたのだろう。担任の先生が保護し、翌16日、知り合いのOさん宅で預かってもらうことに。翌日17日にはOさんが早速「里親募集サイト」に3兄弟を掲載。毎日のように里親サイトをチェックしていたうちの妻がほぼリアルタイムにその投稿に気付く。すぐに僕と電話で相談し、里親を申し出た。そして、その翌日18日には山梨のOさん宅に出向いて1匹だけ残っていた子猫を家族として迎え入れることに。まだ目も開いたばかりでOさんの推測から生後10日ほどだろうということで、4月8日生まれということにしたら、なんと先代のマルオと同じ誕生日だった。不安も多かったが当日のうちに車で東京の家に連れて帰った。その子猫に「モイ」と名付けたのは、翌19日、病院へ検診に連れて行った時だ。
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そんなモイとの出会いが、タイムリーなことに3年経った今日、漫画になって発売された。コンビニコミックス『ねこぱんち』No.140 旅猫号に掲載の「木彫り猫の息吹~はしもとみお彫刻日誌~」で我が家のエピソードを取り上げていただいたのだ。漫画化にあたっては編集の長島さんにものすごく丁寧に取材していただいた。物語はノンフィクションそのもの。会話の内容、かぶっている帽子、家の間取りなど、細かいところまで、まるで一緒に生活していたんじゃないかというくらいにリサーチされている。自分の身の周りに起こったことがそのまんま漫画になる、なんだか不思議な体験。是非、コンビニエンスストアの漫画本コーナーで手にとっていただけたらと思います。
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元になったであろう写真

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今日は月曜日ですが、初めて3週間通院なしの最中なので家でのんびり過ごしているモイ。だけど、さっき毛玉を吐いてちょっと疲れちゃったのか今は冷蔵庫の上で寝ている。 この一週間フラジールを朝夜1/2Tずつ飲ませているけど、昨日、今日と便が軟らかくなってきたのがちょっと気になる。

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東京は雪。正午頃から積もりだし大雪警報が出ている。月曜日だけれど通院しない予定にしておいてよかった。先週のエコーで新たに指摘された腸間膜リンパ節の黒い影のことがすごく気になってはいるのだけれど、モイの白血球が戻らないことにはどうしようもないので、ここは一週間ぐっとこらえて通院のストレスを回避してモイの回復を優先すべきと判断していた。

とは言え、先週の前半は元気もなくフードも定まらずウンチは粘膜便。自分も日に日に不安が募ってぐっすり眠れなくなっていたので、こんなことなら月曜日(今日)エコーだけも見てもらって、腫瘍の進行があるのかないのか確認した方がよいのかもしれないと思っていた。

ただ木曜日くらいから「ロイヤルカナン 腎臓サポートスペシャル(ドライ)」をガツガツ食べてくれるようになって、だんだん元気が出てきた。どんなものよりも食いつきが良かったあの「オリジン6フィシュ」を隣に並べていても今はこの低たんぱくで味気ないはずの療養食の方を好んで食べる。猫の嗜好性はほんとよく分からない。

この二日ほどは絶好調で起きている間はウニとずっと追いかけっこをしている。モイが元気で調子が良さそうだと妻とよく冗談でこんなことを言いあう。「あ、たった今、モイ、寛解したんじゃない!?」「そうね、今、なくなったね!」「日曜日の寛解来たー!」「明日のエコーではどうか分からないけど少なくとも今は寛解してるよねえ!」

そう、大事なのはモイに腫瘍があるかないかではなくて、モイが元気で幸せそうに暮らしているかどうかなんだと改めて思う。病気を抱えていたとしても、調子がよくてそのまま不自由なく寿命を全うせたならそれでいいのだ。診断上の病名と生きていて幸せかどうかは無関係。人間でいえば、どれだけ人生を笑って過ごせたか、になるのかな。猫は笑わないし猫にとって何が幸せかなんて人間には分からない。だから無治療で緩和療法でいくのがいいとか、徹底的に病気と闘うべきだとか、答えが簡単に見つかるものではない。

モイの腫瘍はエコー上では半年以上ずっと小さいまま残っているようだけれど、それを完全に消しさり再寛解させるためには今よりもっと積極的な治療が必要なのかもしれない。ただこれまでの抗がん剤の影響で白血球もかなり少なくなり戻りづらくなりつつある。白血球が少ないと免疫力もなくなるし、もしそのことで感染症などになってしまったら本末転倒。繰り返しになるけど、寛解だけが目的ではなくモイが元気に過ごせるかどうかが重要なので、これからの治療はさらにモイの状態を見極め慎重に行わなくてはいけない。

猫は笑わないけれど、モイが元気で楽しく幸せなのかどうかはモイの表情や行動を注意深く観察すれば分かる(分かっているつもりだ)のだから。

東京でしっかり雪が積もるのは自分の知る範囲では1年2ヶ月ぶり。


この映像は 1年2ヶ月前の2016年11月24日(関東の11月の積雪が50年ぶりだった日)の様子。多分、この頃にモイのリンパ腫は発症したと思われる(正確なところはまったく分からない、ひょっとしたらもっと前の夏頃からじわじわだったかもしれないし、2016年の年末か2017年になってから急激にかもしれない)。

そしてこれが今日の映像。比べるとウニはうんと大きくなったけど、モイの体重はほぼ変らず、むしろ少し軽くなり、ヒゲも細く少し減ってしまった。この1年ちょっとの間に起こった事実(病院での診断上で)は、モイの体内で悪性腫瘍が発生し、大きくなり、小さくなり、一時はなくなって、また少し小さいのができて、半年近く拮抗状態、となる。だけど、このふたつの映像だけを見れば、そんなことはどこかへ消えてしまう。雪を見つめるモイの好奇心に満ちた瞳だけはまったく変わっていない。モイはまだ元気に過ごしている。今の自分に見えているものはそれだけなんだ。

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